プリンスホテルのブランド力

テレビで放送されたこともあって、話題となった「田端プリンスホテル」。中国系オーナーが経営する格安ホテルに対し、西武グループの(株)プリンスホテルが抗議を行い、「名称差止」の通告書を出したというもの。(株)プリンスホテルでは1992年に商標出願をしているが、田端のオーナーはロゴがまったく異なること、さらにオーナーの中国名「王」にちなんだものという主張をしているそうだ。西武グループが長年かけて築いてきたブランド力をきずつけかねない。が、問題をややこしくしているのが、熱川プリンスホテルや菅平プリンスホテルなど、西武グループ以外で「プリンスホテル」を冠している宿泊施設が全国に20軒ほど存在していること。これに対する不公平感はいなめない。

これは商標登録出願以前からプリンスホテルの名を使用していたホテルに対しては「先使用権」(商標法第32条)が認められるため。先使用権とは商標や発明を使用(実施)していたことに基づいて、権利侵害にならずに使用を続けることを認める権利のことで、ある程度有名(周知商標)であることが条件だ。

さらにいえばこのこの事態の原因は、西武グループがホテル開業した60年代には、ホテルの宿泊サービスの役務を対象にした商標制度がなかったことにある。西武グループの商標登録出願は92年。役務(サービス)に対しての商標=サービスマーク制度はこの年の4月に発足したという経緯がある。

卓越したネーミングの才?!

いまやプリンスホテルといえば西武グループというほどに、そのブランド力は定着。その卓越したネーミングは、西武グループの創業者で後に衆議院議員となった実業家 堤康次郎氏(1889~1964年)が、敗戦後行われた宮家廃止に伴い生活に困窮した旧宮家の土地を買いあさってホテルを建て、皇族にちなんだ名を冠したことにはじまる。第一号となった軽井沢の千ヶ滝プリンスホテル(旧軽井沢ホテル・朝香宮沓掛別邸後)は、皇族用の施設で、かの「テニスコートの恋」の舞台ともなった。堤氏はその後も、貴族・旧大名等の土地を買いあさり、グランドプリンスホテル高輪(竹田宮邸跡)、東京プリンスホテル(徳川家霊廟跡)、品川プリンスホテル(毛利邸跡)などの開業により、そのブランド力を確固たるものとしてゆく。

「ピストル堤」の異名をとったという堤康二郎氏。皇族らの土地に目をつけたことといい、セレブレティな価値を想起させるネーミングといい、まさに天才的であったのかもしれない。サービスマーク制度以前でもあり、フリーライド(ただのり=他者が築き上げた信用と名声に便乗して利益を得ようとする行為)の概念も当時は適用されなかったということらしい。

特許業務法人プロテック プリント版ちざいネタ帖 Vol.32 2018/08/01より